人間関係で苦しくなる時、その原因は相手そのものではなく、「信頼」と「期待」を混同していることにあるのかもしれません。
この二つはよく似ていますが、深く考えると別物です。
掘り下げてみます。
「信頼」とは何か
僕が考える「信頼」とは、相手の行動によって生じる結果が、どうであっても受け入れる覚悟です。
ここで大事なのは、あくまでも信頼は”自分の望む結果になると信じることではない”という点です。
相手には相手の事情や感情、意志があります。
その全てを含んだうえで、それでもなお相手に委ねるのが信頼です。
言い換えるなら、信頼とは「相手なりに考えて行動しているはずだ」と信じ、その結果が自分の望みと違っても、まずは「事情があるのかな」と受け止める心とも言えますね。
だからこそ、信頼を構築するには時間を要しますし、信頼する相手を見極める眼は養うべきでしょう。
期待とは何か
一方で「期待」とは、相手の行動によって生じる結果が、自分の想定を満たすだろうという見込みです。
期待そのものが悪いわけではありませんが、期待は無自覚のうちに変質することがあります。
例えば、「こうしてくれたら嬉しい」という願いが、いつの間にか
- 普通はこうするはずだ
- ここまで察してくれて当然だ
へと変わっていきがちです。
この瞬間、期待は願いではなく、相手への要求になります。
「信頼」は過程に注目していて、「期待」は結果に注目している
期待外れを「裏切り」と定義してしまいがち
期待することの問題は、自分の想定を満たさない結果を、すぐに「裏切り」と定義してしまうことです。
- 相手には相手の事情があったのかもしれない。
- 自分が知らない心境の変化があったのかもしれない。
- こちらが勝手に理想像を投影していただけかもしれない。
にもかかわらず、自分の想定から外れたという理由だけで相手を責めてしまいがちです。
そこで起きているのは「裏切り」ではなく、自分の理想の押し付けなのではないでしょうか。
人はよく、自分が見たい”相手の理想像”を、現実の相手に重ねて見てしまうことがあります。
そして、その”理想の相手”と”現実の相手”のズレを、相手の責任や裏切りとして糾弾してしまいがちです。
本来そこでは、まず相手に何を期待していたかを自省することが必要です。
そうすれば、案外「相手に期待してしまっていた自分の責任だった」と気づくこともあります。
長期間の「信頼」は、無意識に「期待」へと変わりがち
さらに厄介なのは、長く続いた信頼ほど、知らないうちに期待へ変わりやすいことです。
付き合いが長くなると、人は相手を「この人はこんな人だ。自分は分かっている」と思い始めます。
すると、
- この人ならこうするだろう
- ここは言わなくてもわかるだろう
- 今回もきっと同じだろう
といった前提が積み重なっていきます。
これは一見、信頼のように見えますが、もし相手の行動が自分の想定から外れた場合に責めたくなるのであれば、信頼ではなく期待していたのかもしれません。
信頼と期待の両立とバランス
ここで難しいのは、自分の中の信頼と期待の両立とバランスです。
あえて極端にゼロかイチか、白か黒かで考えてみます。
「信頼しつつ期待しない」はある種の無関心に見える
まずは「信頼しつつ期待しない」という姿勢です。
相手が何をしてどんな結果になっても「その人なりに最善を尽くしていたんだろう」と信じる姿勢でしょうか。
これは一見すると成熟した態度のように見えますが、見方によってはある種の無関心にも映ります。
相手の結果に何も望まないというのは、時に「相手に関心がない」とほぼ同義になるからです。
恋愛で例えると「彼氏/彼女と連絡が取れないけど、まぁ大丈夫だろう」という感じですかね。
この言葉だけをみると、”相手を信頼している”からなのか”相手に興味がない”からなのかが曖昧に感じませんか?
「期待しつつ信頼しない」は破滅の一途を辿りがち
逆に、期待はするのに信頼はしていないという状態は、かなり危ういものです。
それはつまり、以下の構図だからです。
- 相手を信じていない
- でも望んだ通りの行動や結果は出してほしい
- その結果が想定外なら責める
自分が望む結果を先回りして叶えてくれる人以外は、信じられていない様な心理状態に近いですね。
この状態を恋愛で例えると「彼氏/彼女と連絡が取れない。普通は連絡を返すよね?」といった感じです。
これは、”私との関係を大切にしたいなら連絡を返すはずだ”と相手に期待しつつ、”返さないなら、私との関係を大切にする気はないのだろう”と受け取ってしまう状態ですね。
実際は、たまたま連絡に気づいていない、スマホが壊れたり落とした、充電が切れた、アプリのエラー、交通事故に巻き込まれた・・・など、あらゆる不確定要素の可能性は考えられるんです。
(当然、シンプルに面倒だから無視したとか、色々嘘をつかれる可能性も考えられます)
こんな状態が続けば、その関係が破綻に向かうのは仕方ないかもしれませんね・・・。
まぁ、お互いの気持ちは非常によく分かりますけどね・・・。
この場合は、お互いに悪い部分はあるでしょうけど・・・。
本当に関係を良くしたいなら、後述しますがお互いに信頼を生むための行動や内省が必要です。
信頼は他者に、期待は自分に向ける
では、どう考えるのが健全なのでしょうか。
個人的な一つの答えとして、「信頼」は他者に、「期待」は自分に向けるという考え方に辿り着きました。
他者には信頼を向け、その人にはその人の事情や選択があることを受け入れます。
そして「相手もちゃんと考えて行動しているんだろう」と信じ、関係を結ぶことです。
一方で期待は自分に向け「自分はどうするか」「それにより良い結果を得られるか」といった自分の行動に対して責任を持ちます。
この様に、信頼と期待の向きを意識するだけでも、人間関係はかなり穏やかになると思います。
我ながら、かなり理想論っぽいですけどね。
アドラー心理学でいう”課題の分離”と同じ様な考え方かと。
「信頼」は予測可能性から生まれる
とはいえ、信頼は全くの無根拠では生まれないでしょう。
自分が相手を信頼できるようになる条件、そして自分が相手に信頼してもらえる条件は、主に以下を満たすことかと考えます。
- 相手の行動に一貫性があり、ある程度予測できること
- 実際にその相手が、その予測と大きく乖離しない、あるいはそれを上回る行動を取ること
- それらを積み重ねること
こうした行動が、お互いの信頼の土台になります。
特に”それらを積み重ねること”は、時間がかかるので難しいです。
巷でよく「信頼は築くのは難しく、崩れるのは一瞬」と言われますが、信頼を高く積み重ねたとしても、土台が崩れると全てが倒れるからですね。
そこからまた新たに信頼関係を築いていくには、やはり相応の時間を要することでしょう。
だからこそ”相手を信頼すること”は重要ですが、”相手に信頼してもらえる行動を取ること”はもっと重要かと考えます。
おわりに
「信頼」と「期待」は似ていますが、混同すると人間関係は簡単に歪みます。
「信頼していたのに裏切られた」と感じた時、実はそれは裏切りではなく、自分の理想(=期待)が外れただけのものも少なくないでしょう。
”信じる”と一言で言っても形は様々なので、自分が相手に何を求めているかを意識してみるのも面白いですね。


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