止まない雨はない。明けない夜はない。その時生きてる保証もない【Rainy Life】

この曲のコンセプトについてです。

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3曲目「Rainy Life」を投稿しました。 YouTube https://youtu.be/UVOx9DIkUW0 ニコニコ動画 【初音ミク】Rainy Life【オリジナル曲】 「ボカロ曲を100[…]

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恵まれた故の無自覚な生存者バイアス

「止まない雨はない」「明けない夜はない」

そんな言葉を、何度も耳にしたことがあるはずです。

しかしそれを口にする人の多くはすでに雨を抜けた側、つまり“生き延びた人”ではないでしょうか。

恵まれた環境、支えてくれる誰か、立ち直れる余力、もしダメだった時にそばにいてくれる人…。

そういった何かを“持っていた”人ほど、気づかないうちに「希望」を押しつけてしまうことがあります。

これは生存者バイアスと呼ばれるものです。

「自分が出来たのだから、他人も出来るはずだ」と無意識に思ってしまう心理ですね。

雨の中で立ち尽くしている人には、その言葉が届かないどころか、突き刺さることすらあるのです。

光の中から語られる「きれいな言葉」が、闇にいる人にとってどれほど無力で残酷であるか、想像することは存外難儀なものです。

理解には至れず、理解した気に至る

闇の中で雨に濡れている人に対して、「わかるよ」と口にすることもあるでしょう。

でも、本当に“わかる”ということは、どれほど難しいことでしょうか。

何故なら、「わかるよ」と言っている人の多くは、濡れない場所からそう言っているからです。

濡れていない人が「雨はすぐ止むよ」と言っても、その現時点での雨の冷たさや重さは分かりません。

それでも人は、分かった気になって、安心を生もうとします。

その安心は誰のためなのか。

それは本当の優しさや寄り添いなのか。

ただ「寄り添っている自分」でいたいがためなのか。

理解と同意の相違

もう一つ、案外見過ごされがちなことがあります。

それは、「理解」と「同意」は、異なる概念だということです。

「あなたの気持ちはわかる。でも、前を向くしかないよね」

この言葉には、心情についての理解はしつつも、本心は同意していない発言の可能性があります。

人は苦しみに直面しているとき、正論よりも同意を求めることがあります。それが正しいか否かに関わらず。

たとえ助けてもらえなくても、「そのままでいい」「辛いのは当然だ」「あなたは悪くない」と、そう言ってもらえるだけで救われることもありますよね。

理解と同意のバランス感覚は、受け取り手の精神状態を考慮すべきなのかもしれません。

同じ世界の違う世界観

コップに水が半分ある時、「まだ半分ある」と考えるか、「もう半分しかない」と考えるか。

それは、過去にコップを空にした経験があるか、その後にそのコップを再度満たされた経験があるか、あるいはそのコップを手放して別の満たされたコップを手に取った経験があるか、はたまた次のコップすら空になったのか、それらを何度繰り返したのか…などによって考え方が変わるでしょう。

コップに入っている水の種類、その見え方もまた然りです。

明けない夜、止まない雨に何を感じるかも、その人の経験次第です。

同じ世界を生きていたとしても、世界観そのものが非対称性であるが故に、本質的な理解や同意は極めて困難でしょう。

理解した気になっているなら尚更です。

『Rainy Life』

そんな曲です。

さいごに

理解無き同意は空虚です。

「明けない夜はない」

「蕾はいつか花開く」

「”辛い”と言う時は”幸せ”の手前」

「壁は乗り越えられるもの」

所詮はただの綺麗事。咲いた花だから言える事。

雨に濡れている人に「傘をさせ」と言う人は、おおよそ家の中にいますから。

既に傘が壊れている可能性すら、想像出来ないでしょうから。

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